オーストラリアはかつて、イギリスの流刑地だった、という事実は有名です。
アメリカ独立戦争の後、英国は北大西洋の植民地に代わる流刑地を早急に探す必要があった。
そこで新たな流刑囚植民地としてオーストラリアが推奨され、そして囚人労働者が英国のために作物の生産や
原料の供給をできるように、植民地として開拓されました。
1770年イギリスのキャプテン・クックがエンデバー号でシドニーの近く(ボタニー湾)に上陸し、英国領有宣言をしました。
1788年1月26日にシドニー湾に入港したイギリス船団、初代総督アーサー・フィリップが流刑囚778人と海兵隊とその家族約1200人と共に上陸し、ニュー・サウス・ウェールズと名づけ、植民地を宣言しました。
この日はオーストラリア・デーとして現在は祝日になっています。
(*アーサー・フィリップが流刑囚と現在のオーストラリアに来た時、J君の先祖も流刑囚として一緒に船に乗ってきたそうです。)
1810年頃から開拓が本格化し、内陸へヨーロッパ各方面より植民が始まりました。
1800年代後半には人口が増加し、経済が発展していきます。しだいに、植民地の自治を求める声が強くなりました。
そして1901年1月1日、6つの植民地を州とした連邦国家、オーストラリア連邦が誕生しました。
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